どうやら人間は物を造ることより、物を捨てる事の方が、
本当は苦手のようである。
これからのデザインは、物を捨て去った後のことまで考えねばならないだろう。今日のデザイナーは人類文化に役立っているとはお世辞にも言えない。
機械時代になって、その製品に醜いものが多いということは、デザインがあるからだと言われても仕方がない。
ほとんどのものがデザインされているにも拘わらず、その殆どが醜いとは、結果的に見て、今日ではデザインという職業がない方が良いかもしれぬとまで考えられるのである。
もっとも、今日の機械時代においても、素晴らしいデザインが、僅かだが存在しし、また生まれつつあることも事実である。
この少数の素晴らしいデザインが、デザインの名誉を僅かながらも救ってくれているのだ。もっともデザイナーがいなくても、各技術が有機的に融合されている場合がある。
これはアノニマウス・デザインと言われていて、大変美しいものである。
野球のバット、グローブ、科学実験用のフラスコ、ビーカー、人工衛生等、アノニマウス・デザインは、今日の汚れたデザイナーが到底タッチ出来ないほど、素晴らしく、神聖なものである。
民芸品もアノニマウス・デザインの一種である。
アノニマウス・デザインに比べて、デザインされているものが殆ど醜いとは、
それを構成しているコンポーネントの融合に何か有機的でない不純の異物が混ざっているからであろう。
宗理氏より
富士重工製の車。
かなりかわいいです。